新小岩の転車台を部分保存する会

(転車台は無くなっても会の名前はそのまま)

転車台 [34KB]

昭和58年4月の転車台の様子(EF80や操縦車、黒い貨車が懐かしい) P:yuuki

No.056

長年新小岩の風景として存在した操車場、機関区、工場の歴史
新小岩の発展を見てきた数少ない構造物であり
新小岩の歴史の証である転車台は無くなってしまったが
この地の歴史を示す記念碑設置を目指す!

長年見慣れた新小岩の風景も変わろうとしています。 バブルの頃は新小岩操車場跡地の大規模再開発という話もあったが、結局は私学共済組合が買い取って総合運動場になることに決まりました。
今回、新小岩車両所の川崎移転(平成9年8月25日)によって工場跡の取り壊しが始まりました。

転車台部分保存の活動記録

平成9年9月28日に様子を見に行くと、かなりレールが剥がされてきました。機関庫も空です。転車台(ターンテーブル)の周りには雑草が茂みとても静かです。

何も無くなってしまったと思った新小岩操ですが、新小岩操駅と、千葉機関区新小岩派出と、 保全の事務所は環七の西側へ移って(旧敷地内にあった C58 165 の動輪も)縮小存在していました。
しかし、とても蒸気機関車の配置されていた機関区の面影はありません。

何か記念碑は作られるの?

区役所に問い合わせたところ、何も話は出ていませんでした(まちづくり協議会、町内会、葛飾区)。
これから作るなら、石を彫ったりした記念碑より、実物を何か残した方が良いと思います。例えばこの地を示す物として、転車台とかヤード灯とか。 本物の構造物が在ればおやっこれは何で在るんだろう?とかつての街の歴史を感じるはずです。
実際、横浜の高島では転車台が保存されています。

新小岩機関区跡見学会計画

地元市民にとって構内は入ることが出来ず、転車台の存在は殆ど知られていません。
そこで最後の姿を見せてあげたいと思い、「見学会」又は「1日開放」を行えないのか国鉄清算事業団に打診しました。
しかし、時既に遅く、実現できませんでした。

転車台の見学

10月9日夕刻、特別に現状を見れることになり、職員の方に転車台を案内していただきました。
私に見せるために、転車台は転車台電動牽引機を切り離した所で作業を一時停めてくれているそうです。 この転車台の長さを測っていただいたところ、18m35ありました。そして、製造はなんと関東大震災の大正12年!新小岩駅開設より古い!
転車台は全国各地にありますが、昭和になってから発展した新小岩の街にとって、大正期の構造物は大変に貴重です。 街の発展を見てきた数少ない歴史産業遺産と言えるでしょう。

転車台保存活動と解体

見学の時「もし、保存の話があれば吝(やぶさ)かでは無い」と言ってくれたので、保存する事を考えました!

各方面に転車台の保存を働きかけることにしましたが、時間がありません。解体を遅らせたかったのですが、土地の所有者が変わる為解体期限は延ばせません。

とにかく行動を起こすのが遅すぎました。
区役所の方でも年度途中での突然の話ですからよほどの理由が存在しなければ動くわけにもいかないでしょう。
葛飾区には郷土の博物館(リンク集の)もありますが、この分野の職員はいなく、資料を集める調査は出来ませんでした。
埋蔵文化財や世界に唯一という物程ではないので向こうも動く口実がありません。しかし本来、希少性よりも地元との関わり合いが重要なはずです。
又、よくある文化財等とは違い、転車台は動きのある巨大な構造物なので、子供達の受けも非常に良く、首都圏では珍しいので新小岩のシンボルにもなったはずです。

解体スケジュールは今年度中に更地にして渡すのが条件なので、10月20日、転車台の本体の解体が始まりました。

記念碑とモニュメント

解体中の転車台 [17KB] 新小岩の街にとって貴重な大正期の産業遺産である転車台は解体されましたが、地元としてここで止めるわけにはいきません。
今は厳しい時代だが、将来、余裕が出てきた時に、「何故あのとき何も残せなかったのか」「当時、誰からも保存の要望がなかったから」と、 ならぬ為にも活動を続けました。
連合自治町会町様から再び区役所へ働き掛けていただいたお陰で区役所の理解を得られ、「記念碑」を作る方向になりました。
この記念碑製作に、新小岩で実際に使われていた鉄道部品を使いたいとの申し入れに、国鉄清算事業団も協力してくれることになりました。

後の協議は区役所と清算事業団の直接交渉に任せることになりました。
解体中の転車台 [16KB] 鉄道部品の確保と言っても突然のことでもあり、扱い易い物になりそうで、碑の意味合いも「ここはかつて鉄道施設であった」と言うことになりそうです。
11月12日、区役所から現地視察の結果、転車台の桁は保存できないとの連絡有り。
現実的な線で、転車台をロックするポイントレバーを部分保存することになりました。
11月13日、工場側の地上設備は消え去り、転車台のピットの中にあった桁の残骸は外に積み上げられて…。

レイルマガジン2月号に投稿

接続環境に無い方にもお知らせしたかったので投稿しました。(NEWS SCRAMBLE) P.115
一般紙に公表すると面倒が起きるおそれが考えられてので鉄道趣味雑誌にのみ投稿しました。
SL時代を知らない世代には新小岩に転車台があることは殆ど知られていませんでした。一般公開もされず、 特にヤードが在った頃は常に貨車の陰になっていて電車からも道路からも見えなかったのです。

雪原の見学

1月9日、もう地上で残っているのは高架水槽と社だけで、雪の原野と化していました。ピットの穴だけが丸く抜けています。

過去の物に…

1月22日、ついに最後まで残っていた転車台跡のピットが解体されて全てが過去の物となりました。

以前保存を打診していた方の知人から「某鉄道会社が転車台を探しているのだが」と連絡が来た。
案外転車台は会社も地元も手放してくれなくてなかなか入手できないのだそうだ。
地元での保存にこだわったあまりスクラップにしてしまったのは残念だが、新小岩にあってこそ意味があったのです。

3月25日、清算事業団の事務所へ行きました。検修庫の留置番線を書いた板が個人的にほしかったのだが、一般には分けられなく結局は入手できませんでした。 しかし、嬉しいことに青焼きの図面を頂くことが出来ました。かなり長い図面で良い資料になりそうです。

5月、ついに清算事業団の事務所に使われていた建物も解体されました。

この地区は、都市計画も決定(平10.2.3)し、かつての転車台を回るように都市計画道路も作られ、その内側は公共住宅になる予定です。

詳しくはこれからの新小岩をどうぞ。

11月、部品の保管状況がやっと解るがポイントレバーはだるま転轍機だった! 他に、短いレール等4点。
結局、転車台は何も残せなかったが新小岩の歴史を示す物として残し、記念碑としたい。

転車台について

転車台について用語辞典から引用して説明いたします。

転車台はY字曲線または環線のかわりに迅速かつ経済的に機関車および車両の方向を転換し、あるいは1線より他線に転線するために 線路の一部を回転できるようにした設備を転車台またはターンテーブル (turn-table 英) という。

構造は、地上に円穴があり、その側壁の少し内側の穴底に円形軌条がある。そして、円穴の中央支承を中心に転車台が回転する。

かつて鉄道の動力源が蒸気機関であった時代、蒸気機関車を方向転換するために転車台は必要な設備でした。 しかし、今や動力近代化の完成によって転車台の使命はほとんど失われ過去の遺産となりつつあります。

新小岩の転車台

転車台 [16KB]

解体途中の転車台(平成9年10月9日見学)を駅側から写す。検修庫は右から留置3〜5番線

新小岩の転車台は横河橋梁(現:横河ブリッジ、一部上場企業、橋梁のトップメーカー)製。
製造は関東大震災の大正12年。上路転車台(平衡型)。全長18m35。1984年3月灰色に塗り替え。
横河ブリッジでは戦争で戦前の資料が焼けてしまい残っていません。
転車台は本所機関区が移って来た昭和4年3月7日より古いが、製造当時からここにあったのだろうか? ここの特徴として上部給電部にエントツの笠の様な物(写真では既に失われている)が被せられていました。 線路自体は非電化ですが、回転するのには転車台電動牽引機が用いられていました。
鐵道省の文字の入ったプレートは保存予定でしたが取り外す際に割れて紛失してしまったそうです?。
しかし、これとほぼ同じプレートを発見しました!新金線の西井堀跡に架かる鉄橋にも同じ大正十二年のプレートが付いていました!

大正十二年
■■横河橋梁製作所製作
■■■■ ■■■■ ■■■■■■■ ■■■
鐵道省
MATERIALS
CHANNEL: I.J.O.STEELWORKS
ANGLE:
PLATE:
RIVET:ASANO■■■■■■■■

SL無き後、この転車台は、留置4,5番線、留置6番線とのポイント代用を果たしていました。

転車台の現役時代を田中氏の写真で!

転車台のあった新小岩機関区はJR貨物の機関区でしたが、機関区(検修設備)が千葉の方に移ったため、 新小岩は派出所になりました。そのため現業になった新小岩派出には資料が残っていませんでした。
しかし、千葉機関区新小岩派出には新小岩機関区で活躍したC58の動輪が飾られていて機関区であったことを示しています。

房総の機関区

昭和20年代 新小岩・千葉・木更津・佐倉・銚子・勝浦・大原・安房北条(館山)・成田が存在しました。

房総の転車台

SLを定期観光用に走らす場合、できれば路線の両端に転車台が在った方が良いでしょう。
数年前SLが走ったとき木更津の転車台が使われましたが、10年位前に旧大網駅が、そして今回、新小岩(JR貨物)が転車台を失ってしまいました。

これで総武本線から全ての転車台が消えてしまいました。

全国の転車台と保存

現在でも転車台は全国各地に残っています。これら他区の画像と、 転車台保存運動や、新小岩より新しい転車台が登録有形文化財に選ばれました事等について下記ページにまとめました。

全国の転車台のページ

米沢駅の機関車庫と転車台を保存する会を応援するページ

新小岩機関区跡

私の活動から、再開発予定地に記念碑を作る方向になりつつあります。
私案としてコンクリートの壁に転車台の実物大レリーフを作るなどを考えています。
転車台の実物部品は残せませんでしたが、上平井集会所の倉庫に新小岩で使っていた「だるま転轍機」 を保管したので、これと合わせこの地の歴史を示す碑としての設置を目指します。
これはまだ一般のマスコミには公表出来る状態ではありません(揚げ足を取る人が出てくると今はまずいので)。
何とぞ皆様のご理解とご声援よろしくお願いします。

新小岩にも現在の物を活かして違う目的の物を造る文化の土壌があれば良かったのですが。残念です。

さらに調査!

参考図書の紹介は「参考文献」にまとめてあります。

葛飾江戸川・新小岩。総武線に関するウェブサイトの紹介
「出発ターミナル」を用意しました。どうぞご覧になってください。

行政サービスの紹介
ウェブサイト以外でも「FAX情報かつしか」から24時間引き出せます。03-5698-1550

葛飾区の出版物だけ記述が違う!?

◎ 領土紛争
全国的に販売されている地図では、水元公園と埼玉県三郷市との県境は小合溜の中央だが…
葛飾区の地図では小合溜の対岸の三郷市側の岸になっている!

◎ 新小岩駅開業日の謎
鉄道全線全駅的な本等、殆どの駅に関する書籍では、駅の開設日が、大正15年2月14日だが…
葛飾区の歴史では昭和3年7月になっている!
駅から入手した沿革によると大正15年2月14日は「新小岩信号場開業」の日で、昭和3年7月1日が「旅客営業」の日です。
JR東日本のサイトにある「E@Station」でも7月1日です。
しかし、停車場変遷大事典(一番信用出来そう)では昭和3年7月10日が「新小岩停車場(駅)に変更」された日です。 

今年は新小岩駅開業70周年です。当会では、7月に70周年記念企画写真展を新小岩駅内でおこないました。


どうぞつづき(歴史)のページも左のフレームから選んでご覧になっていってください。 (C) yuuki

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!